みえオレンジの会



カテゴリ:[ なんでもフリートーク ]


46件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。


[46] 運営団体:NPO法人 山村エンタープライズ

投稿者: 太郎 投稿日:2018年 1月 5日(金)17時54分27秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

山村エンタープライズは、岡山県北端の山村に集まる若者たちが2012年に任意団体として設立、田舎のシェアハウスの先駆け的存在である「山村シェアハウス」をはじめとしてさまざまな地域おこし活動を展開し、2015年4月にはNPO法人として起業しました。

そんな中で、田舎の最大の強みは人を癒し育てる力にあると確信し、2016年4月からの「人おこし」本格始動に向けて、約2年の歳月をかけて準備を進めてきました。
外部連携

地域関連・福祉関連等の様々な外部団体と連携することで私たち単体では手の届かない部分をフォローしていただきます。(右図参照)

スタッフ+外部専門家サポート

人おこしは、5名のNPOスタッフが運営し、4名の外部専門家にサポートしていただいています。
人おこしシェアハウスへようこそ!

シェアハウスにはスタッフが1名住み込みで常駐し、参加者・スタッフみんなで一緒にご飯を作り、一緒に食べ、一緒に家の掃除をします。文字通り「同じ釜の飯」を食べ、苦楽を共にする仲間ができること。このことを、「人おこし」では日々のプログラム以上に大事にしています。

家族以外の深い人間関係を持つことによる「自信」こそがひきこもり脱却の重要な要素であると私たちは感じています。



人おこしの1日(例)

8:00 AM
起床・朝食・準備

あらかじめ告知していた集合場所・集合時間に間に合うように、各自で起床し、朝食を済ませ、身支度を整えます。
みんなが集合したら荷物を積み込んで、いざ出発です!
9:00 AM
自給田畑で農作業

耕作放棄地を開墾した田んぼや畑で自給用の米や野菜を栽培します。

草刈り、田んぼの水の管理、堆肥作り、種下ろし、畝立て、収穫などなど、自給とはいえやることはいっぱい。でも自分たちで作ったお米・野菜を自分で料理して食べる充実感は、かけがえのない体験です。
11:30 AM
現場で昼食&昼休憩

お昼ご飯は現場で、かまどを使って調理。山々を眺めながら、外で食べるご飯は格別です。

食後しばらくは休憩時間です。ぼんやり空を眺めるもよし、昼寝するもよし、思い思いの時間を過ごします。
1:00 PM
広大な耕作放棄地で野球

午後はレクリエーション。

その日の天気や気分に合わせて、野球をしたり、フリスビーをしたり、山を散策したり。リラックスして仲間同士の親睦を深めます。
5:00 PM
帰宅・夕食

シェアハウスに戻ったらしばし休憩。そしてその日のご飯担当者は夕食の準備です。その日に収穫できた野菜があれば最高!

夕食はシェアハウスのリビングで、スタッフ・参加者みんなで食べます。ときには、近隣に住んでいる人おこしの先輩も飛び入り参加したり、賑やかに食卓を囲みます。
7:30 PM
自由時間・風呂・就寝

食事の後は自由時間&お風呂のリラックスタイムですが、翌日も日中は体を動かしますので、10~11時の間に必ず就寝します。


募集要項・お申し込み


対象
?(1)高校生~20代。ひきこもり状態5年以内の若者
?(2)田舎の共同生活を通じて自立性を育みたい若者
?(3)不登校状態にある高校生

定員
?18名
*定員に達し次第締め切らせていただきます。

人おこしプログラム料金表








人おこし
日帰り体験

人おこし
短期体験

人おこし
Hito Refresh Camp


期間 日帰り(9:00~17:00) 2日~1週間 1ヶ月単位、概ね1年まで
内容 人おこしの日中の活動を体験していただきます。 人おこしの日中活動やシェアハウスでの生活をトータルに体験していただきます。 人おこしのメインプログラム。
シェアハウスに入居し、スタッフや
他の参加者と共同生活を送りながら、様々な社会活動に取り組みます。
価格 3,000円/日
(昼食代込み) 体験費5,000円/日
(食事3食込み)

生活費
(シェアハウス家賃、光熱費、食費)


活動費
(講師料、資料代、燃料費、材料費)


計 128,000 円/ 月
支払い 参加当日に代金のお支払いをお願いします。 参加当日に代金のお支払いをお願いします。 キャンプ開始月の前月末に代金のお振込をお願いします。
備考  ご父兄は、日中の活動にはご参加いただけません。昼食は近隣の飲食店をご利用ください。 公共交通機関での移動にかかる交通費は別途個人負担をお願いします。
土日祝日等、人おこし活動外で発生した交通費、外食費は個人負担になります。
特定非営利活動法人 山村エンタープライズ
〒707-0012岡山県美作市田殿2921
0868-73-0020
sanson.asia@gmail.com
http://sanson.asia







[45] 「じじい、気色悪いわ!」三女からの家庭内暴力20年超…老夫婦襲った悲劇

投稿者: 太郎 投稿日:2018年 1月 3日(水)07時12分38秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

産経新聞より
こんな記事を読むと落ち込む。

【衝撃事件の核心】

 発症率は100人に1人-。自分には関係ないとみるか、ひとごとではないと捉えるかは人それぞれだが、一つ確かなのは、決して珍しい病気ではないということだ。被害妄想や幻聴などに襲われる統合失調症をめぐり、患者だった40代の三女を絞殺したとして、殺人罪に問われた老夫婦の公判が3月、大阪地裁で開かれた。深夜の大声、隣近所への迷惑行為…。20年以上にわたる家庭内暴力に困り果て、行政にも医療機関にも相談したが、三女を受け入れる場所は結局、家庭しかなかった。「もう私たちの手では、どうにも解決できんかった」。80代の父親は法廷で、救いの手はどこにもなかったと訴えた。裁判員の結論は執行猶予付きの〝温情判決〟だった。

「ごめんね。母さんを許して」

 「引っ越しは嫌や!」

 昨年7月12日夜。大阪市平野区の自宅で、三女が甲高い声で駄々をこねた。

 賃貸住宅の管理会社からは月末に退去するよう迫られていた。父親と70代の母親は老身にむち打ち、三女が夜中に大声を出しても近所迷惑にならない物件をようやく探し当てたところだった。

 「これ以上ええとこないんやから」

 母親はそう言って三女をなだめた。

 「お母さんを困らして。他に行く場所ないんやで」
父親も説得したが、三女は聞く耳を持たなかった。

 父親からすると、突然の出来事だった。母親が無言で、近くにあった白いノースリーブシャツを手に取った。そして背後から三女の首に巻き付けたのだ。

 娘を殺そうとしている-。父親は瞬間的に悟った。「妻を犯罪者にするわけにはいかん」。慌ててシャツを奪い取り、その両端を力一杯引っ張った。

 「死んでくれ。仕方ないんや、許してくれ…」

 三女は抵抗した。その間、母親は三女の頬に自分の頬をすりつけ、泣き崩れていた。「ごめんね。母さんを許して…」

 三女の体から力が抜けた。

 「110番して」

 父親に言われ、母親は受話器を取った。数分後、駆け付けた警察官に父親は「家内がかわいそうで、やってしまいました」と自白。母親も共犯として逮捕された。

 意識不明の重体で救急搬送された三女はそれから12日後に死亡した。

13歳から異変…ひきこもり、そして鬱病に

 夫婦の間には、長女と生まれて間もなく亡くなった次女、そして三女の3人の娘がいた。三女は人見知りで気弱な性格だったという。

 異変が出始めたのは13歳のころだった。気に入らないことがあるとふすまを破ったり畳を切り刻んだり、物にあたるようになった。中学卒業後にいったん就職したものの1カ月で退職した。以降は自宅の2階にひきこもり、18歳のころに受診した病院で鬱病と診断された。
20歳を過ぎると、三女は「家の中に盗聴器がある」と妄想におびえるようになった。業者を呼んで盗聴器がないことを確かめても、「嘘ついてるやろ!」と暴れた。隣の家の郵便受けに卵を投げ込んだり、夜中に大声で騒いだりするようになり、両親はたびたび近隣住民に頭を下げて回ったという。

 そして三女はこのころから、父親に異常な嫌悪感を示すようになった。

 「じじい死んでしまえ!気色悪いわ!」

 突然暴言を吐かれ、あっけにとられることもあった。

 「自分が近くにいなければ、あの子も落ち着くかもしれない」
父親はそう考え、近くにアパートを借り、単身別居生活を始めた。母親は週3回程度、父親の部屋を訪ね、洗濯や掃除などのサポートをした。

 それでも三女の病状が改善することはなく、「お風呂の換気扇から声が聞こえる。誰かが私の体を見てる」と一日中わめいた。

強制入院もすぐ退院

 両親は平成20年1月、地域の保健福祉センターに相談し、職員の手を借りて、三女を精神科のある病院に連れて行った。医師からは「妄想型統合失調症」と診断され、同年5~7月、強制入院にあたる医療保護入院措置となった。

 だが退院後、三女は通院も服薬も拒むようになり、幻聴や妄想はますます悪化した。家庭内暴力もひどくなり、26年5月、父親は体力に自信のある知人に頼み、力尽くで三女を再入院させた。しかし、わずか1カ月で「外泊しても問題ない」と判断され、退院となった。
それから1年後の27年6月、事件のきっかけとなるトラブルが起きた。

 三女の大声に腹を立てた向かいの家の住民が瓶を投げ込み、母親と三女の住む部屋の窓ガラスが割れた。母親は慌てて管理会社に窓の修繕を依頼したが、返ってきたのは非情な「最後通告」だった。

 「お宅のことでいろいろ苦情が出てるんですよ。今月いっぱいで出ていってください」

 頭の中が真っ白になった。なんとか退去期限を7月末に延ばしてもらい、翌日から両親は不動産屋めぐりに奔走した。ようやく条件が合う物件を見つけたのは7月上旬のことだった。

 だが、転居の説明をしても、三女は頑として首を縦に振らない。入居契約の締め切りが迫った7月12日早朝、母親は父親の部屋に行き、「一緒に説得してほしい」と頼んだ。そして同日夜、冒頭の事件が起きた。

孤立する患者家族

 母親は公判中、ずっと泣き続けていた。被告人質問で検察側から「別の方法はなかったのか」と問われると、「いまだに答えが見つかりません」と話した。

 今年3月10日の大阪地裁判決は「他に解決策があったのではという疑問は残る」としながら、「20年以上の間、治療や行政機関への相談をしてきた両被告が突発的に殺害を決意したことについて非難の程度は低い」として、いずれも懲役3年、執行猶予5年を言い渡した。
行政や医療機関を頼ってもなお孤立する患者家族。「全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)」の野村忠良事務局長は「患者やその家族に対する公的な支援体制はまだまだ不十分だ」と話す。

 野村さんによると、相談窓口である地域の保健所は慢性的な人手不足。医療機関はといえば、数カ月で退院を迫られるのが実情だ。「結局は重症化していく患者を、家族で抱えるしかない」(野村さん)

 公判で父親はこう訴えた。

 「私たちの手だけではもう解決できんかった。社会の仕組みや福祉、医療を変えんと、どうにもならんと思うんです」

 どんな事情があれ、娘をあやめることは罪だ。ただ、20年の辛苦を経た父親の言葉には、重い響きがあった。



[44] 不登校・引きこもり・ニート・非行からの脱却 自立と就労を支援する共同生活型民間自立支援施設

投稿者: 太郎 投稿日:2018年 1月 3日(水)06時17分57秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

蔵王いこいの里は1986年に活動を開始、2008年1月にNPO法人東北青少年自立援助センターとして再スタート致しました。
 不登校や非行の子のための共同生活(宿泊)型自立支援施設として始まった里も、世の中の変化に伴い、不登校に限らずニートや引きこもり等、幅広い年齢層の青少年が全国各地から訪れ、30年間でこの蔵王を旅立った若者は既に700名を越えるに至っています。様々な理由から社会的な自立や就労に躓き引きこもり等に陥った若者が、可能な限り早く社会参加できるよう、7名のスタッフが共に身体を動かし、共に笑い、共に悩み、寝食を共にしながら一人一人としっかり向き合い若者の進むべき道を共に考える・・・、ここはそうした若者の自立と就労支援の施設です。
 少子化が叫ばれているのに不登校の数は増える、引きこもりの平均年齢が30歳を超えるなど、こうした社会問題はまだまだ続き、今後益々深刻化する事は間違いありません。

 一般的に不登校や引きこもり、ニート状態の期間が長くなればなるほど、また年齢を重ねるほどにリスクは大きくなり社会参加までの時間も長くなります。そうした悩みや不安を抱えている青少年やそのご家族、ご親戚の方、どうか一日でも一週間でも早く動いてください。『まだいずれ何とかなる』『今はそっとしておいた方が・・・』『いつか本人がその気になるだろう』etc。そんな楽観的な認識や無責任なアドバイスに従った結果、数年後には取り返しのつかない状態にまで陥ってしまった若者も決して少なくありません。家族や周囲の人が『見守る』ことが必要なのは当たり前であり、そっとしておくべき時期があることも確かですが、基本的に『見守る』ことだけで本当に引きこもり等の問題が解決できるなら、時間の経過とともに引きこもり等の問題は鎮静化されるはずです。しかし実際には解決どころか引きこもりやニートの問題は高年齢化と共に社会全体で更に肥大化し、個々の事例についてもそこに暴力が介在するなど、深刻かつ泥沼の様な状況に陥る家庭が急増しているのが実態です。

 『引きこもり始めた20代前半の頃にカウンセリングで「見守っていれば大丈夫」と言われたのでその通りにしてきましたが、気がつけばもう35歳になっていました・・・』 相談に来られた方がそんなウソのような話をされるケースも珍しいことではありません。ただ見守るだけで家族などの周囲が何の具体的アクションも起こさないならば、どんなに家族が悩み苦しんでいたとしてもそれは結果的に『放置・放任・甘やかし』に過ぎません。私たちの経験からすれば、本人の将来にとって『見守るだけ』ということほど、人間として残酷な判断と行為は他にないと考えています。決断と行動を先延ばしにしても得るものはないのです。思い立った『今』がその時です。不登校でも引きこもりでも非行でも、『早期発見、早期対応』に勝る良薬はありません。一番難しいケースが『引きこもりの長期化』である事は言うまでもなく、個人差はありますが一定の引きこもり年数と年齢を超えると、本人が気力も体力も将来への希望も失い絶望的な状態に陥る為、そこから保護者が何をどう頑張ろうとも解決策が消滅してしまいます。これが決断と行動を先延ばしにし続けた引きこもり当事者とその家族の紛れもない現実です。『若さ』は何ものにも勝る武器であり力ですが、その力は無為な時間を過ごせば瞬く間に衰えていきます。ですから保護者の方には早々に本人と本気で向き合い、尚且つ自己改革意識を持って頂くなど、様々な点において断固たる決意をして頂かなくてはなりません。とても公に出来ない壮絶な事例や現場を幾多も目の当たりにしてきた我々だからこそ、これ以上そのような悲劇と絶望を招く家族を増やしたくないのです。

 当センターはそうした若者と『本気』のご家族へは支援を惜しみません。私たちも“神様”ではありませんので『すべてこちらにお任せください』などとは決して言えません。不登校や引きこもりであれ非行であれ、保護者、ご家族もともに同じ認識と方向性を共有しご協力頂かなければ支援自体が難しいですし、私たちでは出来ない事があることも否定しません。ですが、本人、或いは保護者の方の危機感や決意、熱い思いに応えられるようスタッフ一丸となって全力で若者をサポートしております。不登校や引きこもり状態の若者の自立を後押しする為に、第三者の助けや力を借りることは恥ずかしいことでも情けないことでもなく、今や至極当然の手段の一つです。どうか家族や身内だけで悩まずに、全国各地で活動する私たちのような支援機関にお気軽にご相談ください。

現在在籍中 関東出身男性 38歳で入寮後約10か月在籍中
2013年1月・正月休み一時帰宅後のお母様からのお手紙

 色々とご心配おかけしました。何事もなく1週間無事に過ごすことが出来ました。今日は午前中病院を二軒廻り、今やっと落ち着きました。予定外の息子の帰省にあわてましたが、自分から帰りたいと思ってくれた事は、私共には一歩前進と捉えております。親、兄弟から疎外感や拒絶を長い間続けていましたが、自由を味わいたい思いもあったでしょうが、私の父の十三回忌の法事の件もすぐに「うん」と言ってくれました。主人の太っていた頃の喪服を着せてみた所、ズボンはピッタリ、上着は少々パツンパツン。ワイシャツ、ネクタイ、靴等を用意し出席しました。
 以前お世話になっていた別施設の先生に、「私の夢は、家族皆が顔を揃えて食事をする事です」と言った時「お母さん、それは無理です。諦めてください。」と言われました。普通の家庭ではごく当たり前の事すら、我が家にとっては夢でした。息子はあの調子で、別に言葉を交わす訳ではありませんでしたが、初めて会う三男のお嫁さんが挨拶してくれた所、ニッコリうなずいておじぎをしていました。きちんと言葉での挨拶をと伝えておいたのですが・・・。それでも十五年ぶりに三男とも会い家族皆で会食する事が出来、私の夢も実現致しました。息子が少しずつでも心を開き始めだしたのは、里の皆様の優しく見守って気長に対応して頂いたお蔭と思っております。主人も里に行って良かったと話していました。
 他の生徒さん達に比べたら、一番年上なのに何も出来ずやろうともせず、迷惑ばかりおかけし本当に申し訳なく思っております。長い間社会との関わりを持たず、勝手気ままに生きて来た、そうさせて来てしまった私達の責任でもあります。そんな息子ですが、決して諦めなければいつか夢は実現するのだと、今回息子の帰省でしみじみ感じました。
 私も癌や不整脈に負けてはいられません。まだまだ先は長いと思いますが今後ともよろしくご指導をお願いいたします。ありがとうございました。



[43] 自立支援村の拡充に向けて

投稿者: 太郎 投稿日:2018年 1月 1日(月)07時09分59秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

自立支援村の拡充に向けて

2017年11月3日  院長 水野昭夫

                 はじめに

   今年、2017年6月1日から大空クリニックを始めました。74歳の高齢開業でしたが、若草クリニックがなくなって、若草病院に通院しなければならなくなった「きさらぎ大空館」居住の皆さん達のために急遽作ることになったのです。

年末が近づいて来てようやく軌道に乗れそうな状況で、ホームページを改定する余裕が出来ました。

  「きさらぎ大空館」の北裏に有る「如月おおぞら別館」の北隣の角地で、老松通りに直面。広告会社の入居していた2階建ての古家を改造したクリニックで、外観は一寸見すぼらしい。 経費節約で看板は私の手描です。しかし、そんな外観に拘らずに、精いっぱい頑張ります。二階で「如月おおぞら別館」の喫茶室「テゲテゲ倶楽部」と繋がっています。



 若草病院を運営する医療法人如月会の理事長の席を息子に譲ったのですが、意見が合わず、親子喧嘩となり、こういう結果になってしまったのです。自立支援アパートを充実させ、家族療法の治療村として発展させるという目標は失いたくないので頑張ります。「老いては子に従え」なんて言葉がありますが、そんな悠長なことなど言っては居れません。

   ただ74歳の高齢ですので、後継者としての若い医者探しには力を籠めようと腰を据えています。死は確実に身近に迫っているのですから。

 ・・・皆さんも是非とも協力して下さい。

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   勤め医者を辞めて宮崎駅西口の広島通りで19床の有床クリニック「若草医院」を開業したのは1975年の9月。橘通りから宮崎駅に向かうアーケード街の愛称が「若草通り」なのですが、この名を借りての命名だったのでした。宮崎市内のアーケード街もまだここだけだったかな? この時、32歳。「市民の健康を守る会」という医療事故被害者の支援団体を作って医師会からは睨まれながらの運営だったのですが、1980年2月(如月の月)には県庁裏の宮田町7-37番地で、164床の若草病院に拡大できたのでした。大手商社・兼松江商の所有する倒産したレックスホテルという大型ホテルを買収させて頂いて。

  このホテルは県庁裏から老松公園に抜ける一方通行通りの真ん中に所在し、庭の真ん中にはちょっとした大きめのプールがあり、6階建ての屋上にはビアガーデン。勤務を終えたサラリーマン達にとっては県庁・県警本部・裁判所・税務署などを見下しながらの絶好の休憩地として、賑わっていたのでした。私も何回か、涼しい風を受けながらこの屋上でジョッキを傾けた記憶があります。オイルショックの世界的大不況で倒産し、買い手がつかず、帳簿価格の半値近い値段で手に入ったのでした。

  買収費、3億5千万円。改装費や運転資金などに3億円。合計6億5000万円の借金。私の父は「億を超える借金なんて考えられない」と猛反対で、銀行に金を貸さないようにと、様々な手段で止めに入ったのでした。しかし、銀行の幹部から「貴方なら必ず成功します。是非挑戦して下さい」という励ましの言葉で融資して頂けたのです。

   私と同じ年齢の中江建夫医師がやって来てくれ、経営は順調に進み、1994年には医療法人如月会に発展出来ました。



 2014年4月に「自立支援アパートと往診家族療法」という本を出版しているのですが、その中に現在に至る経緯が整理されています。いくつかの部分を読んでいただきましょう。この本の副題は <管理では駄目、支援を! 障碍を抱えた人・および老人達への人間らしい生活空間>で、表紙には、

   「病院なんかに入院させたくない!! 入院したくない」「施設なんかに入れたくない!! 入りたくない」

           <精神科医療の改革を目指して・・70歳の精神科医師からの呼び掛け

                                              ・・(株)健康医療開発社長 精神科医師・水野昭夫>

と記されています。「医療法人の理事長は止めたけど、株式会社の社長としてまだまだ頑張るぞ!」という意気込みの宣言文と考えて下さって良いでしょう。

先ず、挨拶文「はじめに」の半ばから読んで頂きます。

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  精神科医療改革の私の中心課題は<個人の、その人なりの生き方(人権)を尊重する>ということでした。<社会や家族のための病院ではなく、一人の人間を治療し、支えるための医療>を目指すということです。

  勿論、<社会や家族の安全や幸せ>を犠牲にして患者さんの<安全や幸せ>は守れません。しかし、<社会や家族の安全や幸せ>のために<一人の患者さんの人権を奪う>ことは許されないのです。そこのところを曖昧なまま、涼しい顔をしていてはいけません。個人の、その人なりの生き方(人権)を尊重するには、<可能な限り早めに退院させ、通院医療(最近では在宅医療と呼ばれる)に切り替えること>が大切なのです。

  如何に努めても、入院医療や施設介護では管理者側の価値観を押し付け、個人の意思(人権)は犠牲にされがちなのです。<グループホーム、援護寮、老人ホームなどと呼ばれる介護・保護施設>でも病院と同じく管理するという意味で、人権を制約し、侵害してしまいます。<生活する空間は「誰の支配も受けないもの」でなければならない>のです。

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  ところが様々な症状を持っている患者さんは<そう簡単に管理型施設から退去させられない>のが現実なのです。<お世話する家族の諸々の問題>、<個人の生活能力の程度>等々が支障を来すのです。精神科病院の改革に取り組んできた私達は「その辺りの弱点を支える機能」を備えたアパートを作り、「自立支援アパート」と呼んで拡大して来ました。この支援の幅や種類が増せば増すだけ、退院できる患者さんの層を拡げられます。私達の支援アパートには普通の病院であれば入院しているような患者さんが大勢住んでいます。



  ホテル時代の古い従業員寮を改造して「みどり荘」という名のアパートを作ったのは1983年のことでした。この当時は「共同住宅」と呼んでいたのですが、2013年の現在、大小10棟、(借り上げアパートを加えると12棟)、320人を超える入居者を受け入れるだけのアパート群が出来上がりました。当初は単純に「一般のアパートは、精神科の患者さんを嫌がるから、退院させるための住まいを!」として始めたのでした。ところがこれだけの数のアパートが出来上がってみると、全体の中に「一つの治療共同体」としての機能が生まれているのが見えてきました。

  しかも、精神科患者さんを対象に進めて来たのですが、このシステムは「老人、身体障害者、生活に支障をきたす様々な慢性疾患を抱えた人」など、<自立のために支援を要する全ての人達>に有効なのです。つまり、全体を「支援村」と呼んで良いのではないでしょうか? < 精神障害者のためのという接頭語>は要らないのです。ここでは若草病院及び若草クリニックは全体の中の一部にすぎなくなっています。まだまだ継りは大きいのですが、この村の中に内科、外科、整形外科、眼科、皮膚科、耳鼻科など様々な診療科が生まれて来ると、全体が<総合病院の機能を備える>ことになります。



 そしてもう一つ指摘しておきたいことは、この自立支援アパートが「入院させずに治療するための栖」としての治療機能をも持っているということです。勿論全ての患者さんに可能というわけではありませんが、少なく見て、半分くらいの患者さんは、ここで治療を始めることが出来るでしょう。というより、<ここから治療を始めた方が、良い経過を辿れる>場合が多いでしょう。

 発病初期の子供を抱えた家族、認知症の始まりかけた親を抱えた家族が、方々の病院や施設を見て回って、<こんなとこに子供を(親を、兄弟姉妹を)預けたくない>と考えてしまうケースはかなりの数に登るでしょう。そのために治療開始が遅れて、「症状の悪化」や「様々な悲劇的事件を招く」などの結末に至ってしまったりするのです。



 医療費削減策の結果、精神科病院の看護師をはじめとする職員数は極めて少なく抑えられています。そのために、「治療とは呼びがたき管理の手段」として次のような悪いことが行われているのです。国はむしろそれを推奨していると言っても良いでしょう。

1.薬物の大量投与 ;興奮などは収まり管理し易くなるが、以下のような副作用を生み、さらに苦しみが続く。

 ①内臓や骨髄や神経系などへの副作用で様々な身体機能が傷害される。

 ②薬物依存などの心理的副作用で、健全な精神に帰れない。

2.保護室と称する独房への閉じ込めや抑制帯の使用の長期化;これで自殺や傷害は防げるが、更に心を傷つけ、症状を

 深 め、固定化してしまう。

3.デポ剤の使用;「服薬を拒む患者さん」への有無を言わせない強制的な筋肉注射。症状は良くなっても心には深い傷

 が 刻 み込まれる。「良くなったんだから良いじゃないか」と片付けられるものではない。月に1回から2回、肩やお尻

 に注射を打ち込まれて、人に迷惑をかけるような症状を出さない。「それで由と思う」のは治療者や家族など周りの人間だ

 けなのです。

4.電気痙攣処置(ES処置;第4章参照);脳の器質的傷害~破壊を来たす。その結果、思考・感情・記憶・意欲などの

 機能が低下する。そこで、「自殺したい」「攻撃したい」などの意思はなくなるが、残されたものは生ける屍。完全な人

 権侵害。

 ・・・以上は「人手が足りないからやむをえない」として日本中の大多数の病院で堂々と行われているのです。<「悪いとはわかっているけど、皆、やってるんだから」、「それで、社会一般からは感謝されているんだから」という程度の誤魔化し気分>で。これらは心の奥底に、<障害者差別があるから出来る>こと、と言えるでしょう。差別意識は<家族と社会一般(国家)と治療者の3者>の間に共有されているのです。



 そこで、家族としては大変な取り組みなのですが、<効果的な応援の貰える自立支援アパートで一緒に暮らして、治療を始める>ということが出来れば、これらの<反治療的処置>からの被害を逃れ、「家族を守ること」が出来るのです。家族にも「気持ちを据えた覚悟」が要るのですが、その意気込みは家族の間の繋がりを深め、<苦しみから立ち直るためのエネルギーを育くむ力>となるでしょう。



「家族療法」という考えは精神科の治療を進めて行く為にきわめて大切です。そこでこの本は家族療法を理解して頂くために多くのページを使いました。<自立支援アパートは家族療法の考えを基本に置かなければ成り立たない>と言っても良いでしょう。

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  私達の仕事にはまだまだ足りないものがたっぷりです。原子力発電所が地震や津波でたやすく破壊され、日本中が困惑しているのですが、人間の力は自然の力にはとても及ばない・・・。しかし諦めてばかりはおれません。地震・雷・火事・オヤジと言いますが、「オヤジ(権威)の問題」は精神障害の底に大きく横たわる問題なのです。



  精神科医療の改革は一筋縄では行きません。だからと言って諦めていてはいけないのです。人間としての可能な限りの喜びと満足を求めて、誇りを失わずに邁進しましょう。そのために取り組んできた今までの40数年の経過を具体的に述べさせて頂き、更なる改革への道筋を探るための参考にして欲しいと思います。     2014年2月1日

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ページトップへ(はじめに)  支援村  歴史  終わりに

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   次に、1章から支援アパート群の配置図などを取り出してみましょう。

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 この「支援村」は宮崎市のほぼ中心に位置します。県庁、裁判所、検察庁、県警本部、税務署など、ほぼ500メートルの範囲内。市役所までは600メートルかな? 宮崎駅、デパート、宮崎一番の歓楽街なども、700メートルの範囲内。県立の総合病院が約1キロ。歯科や皮膚科など様々なクリニックも充分歩ける範囲にあります。

 若草病院は134床の精神科病院です。急性期病棟が42床、救急病棟が48床あります。若草クリニックには入院はありませんが、デイケアと訪問看護を活発に行なっています。


精神科・内科  大空クリニック 院長 水野 昭夫

 〒880-0865 宮崎県宮崎市松山2-2-6

 TEL: 080-1747-1616・0985-33-9528

 MAIL: ozora1616@docomo.ne.jp

? 私の携帯:090-3195-2025

 MAIL: akio.mtm.1842@docomo.ne.jp



[42] 手をこまねいているのは親による虐待

投稿者: 太郎 投稿日:2017年12月31日(日)07時15分3秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

「ひきこもり500人のドアを開けた!」精神科医・水野昭夫の「往診家族療法」37年の記録より

手をこまねいているのは親による虐待

強制入院については、「子供の人権の侵害である」と世間から見られやすい。こうした意見に対して、水野はこう答える。
「確かに、子どもを強引に入院させるのですから、相手の意思を無視する。相手にこちらの意思を押し付けるということになります。まさに、人権侵害であるかのように見えます。でも僕は、放置するのはもっと危険な人権侵害であると考えるのです。
治療を施さずに放置しておくと、人格侵害が進展し、閉じこもったり、病状が深みにはまりこんだりしていくことになります。それを予防しないことのほうが、親としての務めを果たしていないことになります。手をこまねいていて、何もせずに放置することは、むしろ、親による子どもの虐待と呼んでいいのです。」
つまり、ひきこもりの子どもを、家庭という「牢獄」から一刻も早く救い出してやりたい。入院治療するなら、早ければ早いほうがいいというのが水野の考えであり、一見、「荒療治」とも思われる方法を駆使してでも、子どもを「牢獄」から救い出してやろうと必死なのである。九州・宮崎を拠点に、リュック一つで、全国どこへでも駆けつける。
ひきこもりの子どもに「介入」し、ひきこもり状態から「救出」しようとすれば、そのための子どもの居場所が必要となるが、幸い水野には、医療機関なら若草病院と若草クリニックがあるし、フリースクール的な施設なら遊学舎がある。住む環境なら、「自立支援アパート」があるというように、彼の治療法をサポートしてくれる体制が整っていることが大きいといえる。

水野先生は、1943年宮崎県都城市生まれ、鹿児島大学医学部卒業。



[41] 全寮制のフリースクール「生き方と働き方学校」

投稿者: 太郎 投稿日:2017年12月29日(金)18時19分39秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

娘が大きな愛に目覚める原点 塩澤みどりさん(公益財団法人 いのちの森文化財団代表理事)

長野県飯綱高原にある「いのちの森」には、癒やしを求めて多くの人が訪れる。人びとは自然のなかで学びと実践をとおして本来の自分を取り戻し、新たな一歩を踏み出していく。「公益財団法人 いのちの森文化財団」代表理事の塩澤みどりさんに、財団の取り組みや、財団設立のきっかけとなった娘・早穂理さんへの思いを伺った。

塩澤みどり(しおざわ・みどり)
1947年、長野県生まれ。心理カウンセラー。公益財団法人 いのちの森文化財団代表理事。重度の脳障害をもつ娘・早穂理さんとの生活を送るなか、93年、長野県飯綱高原に、自己の学びを深めるためのスペース「水輪」を夫と共に開設。セミナーやカウンセリングなどを行なう。監修書に『早穂理。ひとしずくの愛』『ナナカマドの咲く頃。』(共に原書房)。


─飯綱高原に移り住んだ経緯を聞かせてください。

娘の早穂理は重い脳障害をもって生まれました。歩くことも、話すことも、食べることもできない娘の姿を見て、絶望感に打ちひしがれました。日々の介護に疲れ果て、この生活がずっと続くと思ったら、出口のない暗闇を歩いているような気持ちになりました。

そんな時に出合ったのが禅の世界です。毎日、禅寺で座禅を組み、ゆっくり呼吸を調えていると、自分の思いにとらわれることなく、深い安心感を得られるようになったのです。苦しみや悲しみは、すべて自分の心がつくり出していたことに気づきました。湧き上がる感情にとらわれ、次から次へと思いを膨らませていくから、つらくなるのです。事実を事実としてありのままに受けとめ、一瞬一瞬、目の前のことだけに意識を向け、淡々と行なっていけばいいのだと思えたのです。

良いことも悪いことも、すべては私たちがそれを味わうために起こっているのだと思います。だから、逃げることなく、あらゆる経験、あらゆる思いを味わい尽くしていこうと心に決めました。

その後、長野市内の自宅から家族で飯綱高原に移り住みました。三十五年前のことです。飯綱はそれまで家族で何度となく、心を癒やしに訪れていた場所です。そこに一軒の家を建て、「早穂理庵」と名付けました。


─家族で再出発したのですね。

世間から離れ、大自然のなかで娘の世話をする日々でしたが、私たちの生き方に共感する方がたが一人、二人と、早穂理庵に集まるようになりました。幼稚園の先生や音楽家、芸術家、医師、主婦、サラリーマンなど、さまざまな人たちです。みんなで楽器を演奏したり、座禅を組んだり、人生について語り合ったりしました。相談を受けることも多く、じっくり耳を傾けては、私の体験をお伝えしました。

娘は呼吸をするのも大変で、これまで何度も命を落としかけてきました。十分に酸素が吸えると、心から嬉しそうな顔をします。呼吸ができるだけでも本当はとても幸せなことなのだと娘に教わりました。娘は生きる喜びを全身で表現しています。病気、離婚、リストラ、経済苦などさまざまな苦しみを抱えた方がたも、娘と一緒にいると心が穏やかになり、優しくなっていきます。娘はただそこにいるだけで多くの人たちを癒やし、生きる勇気を与えていたのでした。

早穂理庵に集まる人が増えたため、家の隣に宿泊もできる座禅や瞑想をするための建物を造りました。癒やしと気づきの場を提供する施設「水輪」です。夫と二人で始めた「水輪」は、その後、多くの支援をいただき、次第に規模を広げていきました。活動の趣旨に賛同した人たちが全国から訪れ、スタッフとして働いてくれるようにもなりました。現在、「いのちの森文化財団」を立ち上げ、「いのちの森構想」として、さまざまな取り組みを進めています。

─どんな活動をしているのですか。

「いのちの森」全体には、三万八千坪の敷地と、研修や宿泊用の施設が十数棟あります。自然農法による農産物の生産活動や、自然治癒力を高める実践講座、座禅、内観、断食、セラピー、カウンセリング、森林浴、セミナーなど、さまざまなプログラムを行なっており、医師や宗教者、経営者なども講師を務めてくださっています。

自分を癒やす力は自分のなかにこそあります。何かに依存したり、外に癒やしを求めたりするのではなく、自己を見つめ、自己を深め、揺るぎない自己をつくる。それが「水輪」の根幹の精神です。さまざまなプログラムはあくまでもサポートに過ぎません。最後は自分で自分を生かし、いのちをはぐくんでいくのです。

全寮制のフリースクール「生き方と働き方学校」には、ひきこもりや不登校、精神疾患、摂食障害、薬物依存、自殺願望などの問題を抱えた青少年が入校してきます。若くして人生につまずき、生きる気力を失い、ここにたどり着いた子たちが、自然のなかで仲間と共同生活を送りながら、農業実習や宿泊業の体験実習、清掃、勉強などに真剣に取り組み、達成感や充足感を味わって、たくましく育っていきます。自分たちが丹精込めて作った野菜を食べた宿泊客から「元気が出ました」と言葉をかけてもらい、自分を認めてもらう嬉しさや人の役に立つ喜びを味わう子も多いようです。

世間的に見れば、彼らは社会からドロップアウトして、周りからも疎んじられてきた子たちかもしれません。でも、彼らを大事に磨いたら、キラキラ輝いて、素敵な人間になっていくのです。ひたむきで、素晴らしい子たちばかりです。人生で本当に大事なことは何かを彼らが教えてくれています。

学校での作業や出来事、人や自然とのふれあいなど、さまざまな関係性やつながりのなかで、いかに自分の人間性を深めていくか。それが何より大事なことだと思っています。ここに来た時には目もうつろで、日常生活も満足に送れなかった子たちが、「卒業後は人の役に立つ仕事に就きたい」「水輪のスタッフとしてみんなの力になりたい」と言ってくれます。こんなに嬉しいことはありません。


─いま、どんな心境ですか。

これまでの出来事はすべて必然だったように思います。娘が障害をもって生まれたこと。苦悩の日々を送るなかで禅に出合い、深い気づきを得られたこと。不思議な縁で飯綱の土地を提供してもらい、家族で移り住んだこと。多くの人と出来事のつながりが縁となって、「水輪」を設立することになりました。当時は考えもしませんでしたが、改めて人生を振り返った時、すべてがつながって見えました。人知を超えた大きな力に突き動かされて、私たちはここまで歩んできたように感じています。

さまざまなことがありましたが、いつもその中心にいたのは娘の早穂理でした。娘は私たちの魂を磨き、高めるために、この世に生まれてきてくれたのだと思います。娘への愛が出発点となり、多くの人と共に魂を高め合っていきたいという、大きな愛に目覚めることができました。娘は神さまがくださった素晴らしいプレゼントです。

あらゆるいのちの営みのなかで、私たちは生かされています。そして、お互いに思いやり、助け合い、信じ合う心によって一つにつながっているのです。そうした真実に目覚め、心豊かな社会をつくるためにも、「いのちの森」を基点に、愛といのちをはぐくむ場を広げていきたいと思います。




『やくしん』2016年10月号 (佼成出版社)

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[40] ひきこもり救出作戦 水野昭夫さん(精神科医)

投稿者: 太郎 投稿日:2017年12月29日(金)17時51分57秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

ひきこもり救出作戦 水野昭夫さん(精神科医)


水野 昭夫(みずの あきお)
1943年、宮崎県都城市生まれ。鹿児島大学医学部卒業後、医療刑務所などで医師として勤務し、宮崎市に若草病院を開業。のちに、自立支援アパート「大空館」、フリースクール「遊学舎」を開所する。「空飛ぶ精神科医」と呼ばれ、宮崎市を拠点に37年前から全国のひきこもりに悩む家庭への往診を続けている。

国の実態調査によると、仕事や学校に行かない「ひきこもり」は、全国で約七十万人。ひきこもりの長期化も深刻だ。そんな彼らを救おうと、精神科医の水野昭夫さんはリュック一つで全国を飛び回る。

──ひきこもりの子どもたちを往診するようになった理由は。

ひきこもりの子どもたちは、日常抱えている苦悩をあまり人に語ることはありません。家族以外の人と接する機会がほとんどなく、誰かに話したところで、「甘えている」とか「自分勝手だ」と思われるのではと猜疑心が働いてしまうからです。

一方、親のほうも、ひきこもりのわが子と真正面から向き合わず、そのまま何年も放置するケースが目立ちます。「愛の反対は、無関心」という言葉があるように、自分の子どもを心から愛せない親が増えてきたようです。

近年、ひきこもりの長期化もささやかれるようになり、三、四十代のひきこもりも珍しくなくなってきました。ひきこもる期間が長引けば長引くほど、心の傷が深くなります。ですから、家庭の中で改善を試みるだけでなく、私たち精神科医を含めた専門家チームによる社会的なサポートが必要になってくるのです。

ひきこもりの子どもたちは、つらい気持ちを抱えたまま孤立し、社会の居場所をなくしています。できるだけ早いうちに助け出したい──私は、そんな一心から、こちらから出向く往診を始めたのです。

──治療のプロセスは。

家族から往診依頼が入っても、すぐに往診にうかがうわけではなく、本人はどんな状態か、家族構成はどうかなど、家族と連絡を取りながら、念入りに調べます。そのうえで往診に出かけるのですが、いきなり本人と面談できることは滅多にありません。見ず知らずの医者が突然訪ねてくるわけですから、戸惑うのも当然です。ですから、たとえ本人に会えなくても、二度、三度、足しげく通いながら、家族と対話を重ねたり、子どもの置かれた状況をじっくり観察しながら、ひきこもりの解決に向けて、その方策を探ります。

往診は、貴重な情報の宝庫です。どんな家に住んでいるか、どんな飾り物があるのか、教育熱心な親か、その子に対し、家族は普段どう接しているのか……。診察室では得られない本人の状況を把握することによって、適切な治療が可能になるのです。

往診を続けていると、緊急を要する事態に接することもあります。それは、ひきこもりの長期化によって神経症やうつ病など、心の病気があらわれてくるときです。「帰れ、ぶっ殺すぞ」と、いきなり植木鉢を投げつけられたり、灯油缶に火をつけようとした青年とかかわったこともありました。

このような場合、一時的に保護入院させることもありますが、できるだけ早く退院させるようにしています。そして、いきなり自宅へ戻すのではなく、私どもの病院に隣接する「自立支援ホーム」への入所を勧めています。この施設は、ひきこもりの子どもが医療チームのサポートを受けながら、生活の立て直しをはかる場所です。現在、自立支援アパートは十二棟あって、そこに全国から集った三百二十人の若者たちが暮らしています。そして、入居者には、それぞれ担当の看護師やケースワーカー、心理療法士、作業療法士がつき、併設するフリースクールでは、勉強を教わることができます。また、食事や洗濯など身のまわりのことはすべて自分で行ない、仲間と交流しながら、自立への一歩を歩んでいるのです。

──自立支援アパートで、ユニークな職業訓練も行なわれているそうですね。

これは作業療法の一環ですが、ここでは、木工、園芸、高齢者介護、洗濯、病院の売店、庭の手入れ、パソコンの入力作業など、さまざまな職業訓練が受けられます。もちろん、これらの仕事にはすべて報酬が支払われます。仕事の進捗状況によって、時給が二百円になったり、三百円になったりしますが、それが本人たちのやりがいに結びついているのです。人や社会と接することのなかった彼らが、お金を稼ぐとはどういうことなのか、実際に体験してもらうことは、大きな意味があると思うのです。

現在、三十二歳になるS君は、五年前、自立支援アパートに入居しました。中学生の頃、サッカーの試合でミスをして、仲間から非難されたことが引き金となり、不登校になったようです。以来、十年近く自宅にひきこもっていましたが、そのうち、精神的にまいってしまい、家族に暴力をふるうようになっていたのです。S君がここに来た当初は、表情に力がなく、目もうつろで、何ごとにもやる気が起こらない様子でした。ところが、同じ悩みを抱えた仲間に囲まれ、職員に励まされながら過ごすうちに、少しずつ明るさを取り戻していきました。そして、ここでの生活が一つの自信となり、彼は現在、有機野菜を作る農場でいきいきと働いています。かつて、灯油缶に火をつけようとした青年も、フリースクールの英語講師として働いてくれています。

そんな彼らのいきいきとした姿を見ていると、ひきこもりを体験したことは決して恥ずかしいことではなく、人生の貴重な体験だったのだと思えてきます。私の夢は、百歳まで全国を飛び回り、ひきこもりの子どもたちのよき縁となることです。そのうち、ひきこもりの子どもたちの中から、私に続く精神科医があらわれてくるような気がしてなりません。


『やくしん』2015年1月号(佼成出版社)

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[39] 精神科医 水野昭夫のホームページ 自立支援アパート

投稿者: 太郎 投稿日:2017年12月28日(木)07時42分33秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

第1章 精神科医療改革のために
 精神科医療改革への中心課題は<個人の、その人なりの生き方(人権)を尊重する>ということです。 <社会や家族のための病院ではなくて、一人の人間を治療し、支えるための医療>でなければならないのです。もちろん<社会や家族の安全や幸せ>を犠牲にして一人の患者さんの<安全や幸せ>は守れません。しかし、社会や家族の安全や幸せのために<一人の患者さんの人権を奪う>ことは許されないのです。

 そのためには<可能な限り早めに退院させ、通院医療に切り替えること>が必要なのです。入院医療や施設介護では<管理者側の価値観を押し付け、個人の意思(人権)は犠牲にされがち>なのです。<グループホーム、援護寮、老人ホームなどと呼ばれる介護・保護施設>でも病院と同じく<管理するという意味で、人権を制約し、侵害してしまう>のです。<生活する空間は「誰の支配も受けないもの」でなければならない>のです。
 ところが、様々な症状を持っている患者さんは<そう簡単に管理型施設から退去させられない>のが現実です。
<お世話する家族の諸々の問題><個人の生活能力の程度> 等々が支障を来すのです。「その辺りの弱点を支える機能」を備えたアパートを「自立支援アパート」と呼んでいます。
この支援の幅や種類が増せば増すだけ、退院できる患者さんの層を拡げられるのです。私達の支援アパートには普通の病院であれば入院しているような患者さんが大勢います。

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第2章 低医療費政策の下での管理者の過剰な管理
 発病初期の子供を抱えた家族、認知症の始まりかけた親を抱えた家族が、方々の病院を見て回って、<こんな病院に「子供を(親を、兄弟を)預けたくない」>と考えてしまうケースはかなりの数に登るでしょう。そのために治療開始が遅れて、「症状の悪化」や「様々な悲劇的事件を招く」などの結末に至ってしまったりするのです。
 医療費削減策の結果、精神科病院の看護師をはじめとする職員数は極めて少なく抑えられています。そのために、「治療とは呼びがたき管理の手段」として次のような悪いことが行われているのです。国はむしろそれを推奨していると言っても良いでしょう。
薬物の大量投与
興奮などは収まり管理し易くなるが、以下のような副作用を生み、さらに苦しみが続く。
内臓や骨髄や神経系などへの副作用で身体機能が傷害される。
薬物依存などの心理的副作用で、健全な精神に戻れない。意欲~活動性低下。
保護室と称する独房への閉じ込めや抑制帯の使用の長期化
これで自殺や傷害は防げるが、更に心を傷つけ、症状を深め、固定化してしまう。
デポ剤の使用
「服薬を拒む患者さん」への有無を言わせない強制的な筋肉注射。症状は良くなっても心には深い傷が刻み込まれる。「良くなったんだから良いじゃないか」と片付けられるものではない。月に1回から2回お尻を出さされて注射を打ち込まれて、<人に迷惑をかけるような症状を出さない。「それで由と思う」> のは治療者や家族など周りの人間だけ。
電気痙攣処置(ES処置;第4章参照)
脳の器質的傷害~破壊を来たす。その結果、思考・感情・記憶・意欲などの機能が低下する。「自殺したい」「攻撃したい」などの意思はなくなるが、残されたものは生ける屍。完全な人権侵害。

 以上は「人手が足りないからやむをえない」として日本中の大多数の病院で堂々と行われているのです

<「悪いとはわかっているけど、皆、やってるんだから」、 「それで、社会一般からは感謝されているんだから」という程度の誤魔化し気分>

で。
これらは心の奥底に、<障害者差別があるから出来る>ことと言えるでしょう。
 差別意識は<家族と社会一般(国家)と治療者の3者>の間に共有されているのです。

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第3章 一つの治療共同体に育ってきた自立支援アパートの歴史
 古い従業員寮を改造して「みどり荘」という名のアパートを作ったのは1983年のことでした。
 この当時は「共同住宅」と呼んでいたのですが、2012年の現在、大小9棟、(借り上げアパートを加えると11棟)、310人を超える入居者を受け入れるだけのアパート群が出来上がりました。
 新年の1月11日に新しいアパートを手に入れたのです。15人分のアパート、大空館の近くに、その名も「スミレ荘」。
 当初は単純に「一般のアパートは、精神科の患者さんを嫌がるから、退院させるための住まいを!」として始めたのでした。ところがこれだけの数のアパートが出来上がってみると、全体に「一つの治療共同体」としての機能が生まれているのが見えてきます。

 しかも、精神科患者さんを対象に進めて来たのですが、このシステムは「老人、身体障害者、生活に支障をきたす様々な慢性疾患を抱えた人」など、<自立のために支援を要する全ての人達>に利用できるのです。
 つまり、全体を「支援村」と呼んで良いのではないでしょうか? 精神障害者のためのという接頭語は要らないのです。
 ここでは若草病院及び若草クリニックは全体の中の一部にすぎなくなっています。この村の中に内科、外科、整形外科、眼科、皮膚科、耳鼻科など様々な診療科が生まれて来ると、全体が<総合病院の機能を備える>ことになります。

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第4章 「入院させずに治療するための栖」
 そしてもう一つ大きく指摘しておきたいことはこの自立支援アパートが「入院させずに治療するための栖」としての機能を持っているということです。
 勿論全ての患者さんに可能というわけではありませんが、多分、少なく見て、半分くらいの患者さんは、<ここで治療を始めることが出来る>でしょう。
 というよりか、<ここから治療を始めた方が、良い経過を辿れる>場合が多いと言えるでしょう。
 往診家族療法という治療手段の中で<家族と適当な距離を作る>ためには極めて有効な治療場所です。
 この自立支援アパートは「新しい大きな家族」と考えることができます。

 そこで、家族としては大変な取り組みなのですが、<効果的な応援の貰える自立支援アパートで一緒に暮らして、治療を始める> ということが出来れば、先に挙げた <反治療的処置> からの被害を逃れ、「家族を守ること」が出来るのです。
 家族にも「気持ちを据えた覚悟」が要るのですが、その意気込みは
家族の間の繋がりを深め、
<苦しみから立ち直るためのエネルギーを育くむ力> となる


 でしょう。
つまり、自立支援アパートは家族療法の実践の場でもあるのです。

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第5章 自立支援アパートの分類
 大雑把な分類ですが、私たちが所有している自立支援アパートを3タイプに分けて整理します。
 症状の重さ、介護度の高さ、症状が不安定で再入院の可能性が高い人、デイケアに通うための居住者の利便度、訪問看護を継続するための治療者側の利便度など、若草病院からの距離、クリニックが備えられているか等々による分類です。

Aタイプ……症状悪化の危険性の高い人、介護度の高い人。これは若草病院の隣接地域に配置。
  その理由。
 <訪問看護が頻繁にできる>
 <症状悪化の場合に職員が駆け付けやすい>
 <患者さん同士のトラブルが目に付きやすい>
如月こかげ館(62室)
赤レンガ館(9室)
如月こかげ東館(28室)
松本ビル(9室)
:かなり重度の支援を必要とする人も入居できる。
――――――合計108室

Bタイプ……症状が安定している人 。逆に若草病院から適当に離れた地域に配置。距離があることに意味がある。より深く社会参加していると言える。
きさらぎ大空館(110室)
如月おおぞら別館(27室)
:この2つのアパートの居住者の殆どは若草クリニックのデイケアや訪問看護を受ける。
 中には距離を気にせず、若草病院まで出かけて行く人も居る。
遊学舎アパート(=第4みどり荘)(5室)
斎藤アパート( 9室)
スミレ荘(15室)
:これらは安普請の一般アパート

――――――合計151室

Cタイプ……親と子供、妻と夫、恋人同士の同居。
 若草病院からの距離は選ばない。台所があり、一般のアパートと同じ構造。
 この構造では、「人手の足りない病院の中ではできなかった親密なお世話を家族ができる。
 つまり、<低医療費政策の結果としての人手不足を補う>ことになる。
双葉館(15家族、27室)
藤ビル(15家族、30室)
元職員寮(10室)
――――――合計57室

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第6章 入居費用
 部屋代は様々です。生活保護の人が入れる2万8,000円の部屋から、15万円の広い部屋まであります。平均的には4万円から6万円です。
 食費は大空館の場合で言うと、朝が300円、昼と夜が500円で、一日1,300円となりますから、月に3万9000円となります。外食などするときには前日までに報告しなければなりません。
 クリーニング代が一日分300円。そこで、大まかに9万円から13万円で生活が可能です。




[38] 往診および入院の具体的な進め方 ~登校拒否の場合を中心に~

投稿者: 太郎 投稿日:2017年12月28日(木)07時18分28秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

第11章 往診および入院の具体的な進め方
~登校拒否の場合を中心に~
 家庭内暴力や非行の場合でも基本的には同じです。ただこの場合、症状の性質上、緊急入院という形で対応する場合が多いことになります。
 登校拒否の場合をなるべく具体的に述べながら、様々なケースについても触れておきましょう。


第1節 初回の往診面接
 私達は両親に来院して頂いて現在の症状と経過をなるべく詳しく聞かせてもらい、大体の見当をつけて往診に取り掛かります。
 時には症状が進行していて、家族への暴力が極限に近く危ないということもあります。包丁、金属バット等々……、新聞の紙面を賑わす事件の小道具が気になるケースも頻々です。

a.往診が爆発への引き金になる危険性
 往診する場合、前もって詳しく聞いておくというのは、そういう危険の無いタイプか否かということを確認する必要もあるからです。
 タイプによっては往診が爆発への引き金になる危険性は充分あるのです。

 強制入院の場合にも「心の準備」をさせた上で取り掛かる方が経過が旨く行くわけで、初回往診での強制入院ということは先ずしないのですが、こういうことが予測されるケースでは初回の診察の当日に強制入院させることもあります。

 ふだんは私一人で往診する、あるいは心理療法士と2人で往診するのですが、こういうケースでは、強制入院の可能性を考えて、初めから<2人か3人の男性職員(看護師か心理療法士かケースワーカー)>を連れて行きます。中学生ともなると体も大きくて、保護するのに1人では不可能だからです。

b.往診の始まり
 こうやって初回の診察が始まります。実際に診察を始めてみると、親から聞いていたよりうんと話しやすい子であるという場合がほとんどです。
「案ずるより生むが易し」ということですが、家族が「すぐにでも強制入院させてもらわなければ」と考えているのは、思い過ごしであるという場合が多いようです。

c.子供が客間まで来れそうになければ……
 私達の治療の手段は「閉じた心を開かせること」ですので、初回の面接を可能なかぎり刺激的でないように工夫します。そこで、心理療法士と私の2人だけで玄関をくぐるのですが、なるべく応接間で待つことにします。それは、子供の部屋をいきなり覗くという失礼をできれば避けたいからです。しかし、お母さんと子供のやりとりを聞いていて、子供が応接間まで出て来そうにないという雰囲気を感じたら、
間髪を入れず彼の部屋まで足を運び、2人の間に割っている ことにしています。
 この辺りの判断はアウンの呼吸の領域ですが、大抵の場合、子供は家族に対し傍若無人に振舞いますが、他人に対しては低姿勢なものです。しかし、あまりにも激しく興奮する場面を見せてしまった後では、心を切換える余裕がなくなって、破れかぶれになってしまう危険性がある のです。

d.早すぎても遅すぎてもまずい
 そこで彼が、私達が応接間にいるということを意識して、
?(感ずかれないように)なるべく低い声で
?なるべくやわらかい言い回しで
加減しながら喋っていて、"抑えられない興奮"がやがて爆発する寸前に割り込んで行かなくてはならないのです。つまり、この介入は早すぎても遅すぎてもまずいのです。 親と対話している時間をなるべく長く持たせることは、彼に「私達と初めての面接をするための心の準備をする時間」を与える  ことになります。
「いつかぶっ殺してやる」と叫んでいた高校三年生 のある少年の例を挙げましょう。
この少年は親の方から接近しようとしても、全く受け入れてくれなくなりました。しかし、自分の言いたいことは、いろいろと書いた紙を入り口のドアにガムテープで貼って一方的に伝達するのです。

「人の批判ばかりじゃなくて自分のことを考えろ、クソオヤジ」
「オレはおまえを憎んでいる」 「部屋に入ることならず」
「いつかぶっ殺してやる」 などといった具合です。

e.ちゃんと応えてくれるまで……
 親の方は「どこが悪いのか」「どこをどう変えたらいいのか」と聞くことになるのですが、答えはまた紙に「自分で考えればわかる」 と書くだけなのです。親にしてみれば何に怒っているのか見当がつかないわけで、ただだだオロオロしておられるのです。そして症状は日々進行していきます。
それは両親が彼からのメッセージに答えなかったからと考えてよいでしょう。彼は両親が、<ちゃんと応えてくれる>まで、ガムテープの紙に書く内容をどぎつくせざるをえなかったのです。
そして「いつかぶっ殺してやる」におったまげて、お父さんが来院されました。

f.誰も開けるはずのないドアが開いて……
 親の要請は「往診して、そのまま入院させて下さい」ということだったのでした。今の私であれば、こんなユーモラスなやりとりをする子であれば、もっと気楽に往診するでしょう。しかし、この当時の私は少し気を張って訪問したのでした。
両親は私を呼んだことで<暴れるに違いない>と思い込んでおられます。父親は仕事を休んで待機して、家中が構えていました。私はどんな大変な子が飛び出してくるのだろうと、やや気にしながら彼の部屋のドアを開けたのでした。
家族が本人を応接間まで呼ぶなんて、到底できそうにはありませんでしたので、私が自分でドアを開けたのです。家族は自分を怖がって絶対に入っては来ないわけで、
誰も開けるはずのないドアが開かれ、見たこともない人が侵入してきた  のです。

g.身構えることなく……
 大変な驚きだったのでしょうが、彼は突然訪問して来た他人に対してまったく身構えることなく話してくれました。両親は私達という 治療者の手を借りてはじめて息子の要求に答えることになったのですが、この少年は行詰まっていて「誰でもいい、対話できる人を探して欲しい」と思っていたのでしょう。言葉でそうは言えなかったのですが、いわば、<症状を使って親をそういうふうに動かしたのだ>と考えてよいでしょう。

h.救助の叫び……
 この少年は成績優秀で、親の期待に応えて努力してきた子でした。中学時代までは剣道で地域の1~2を争ったこともあるスポーツマンでした。
 ところが高校に入る前後から対人関係の不安を訴え、「隣の人が気になって勉強に集中できない」と訴えるようになりました。それでも必死に勉強していましたが、ついに3年生の5月より不登校が始まります。
そして「大学にも行かない。自分は作家を目指すのだからつまらない受験勉強などしなくてよい」と  家に閉じこもり始めたのです。学校という社会から逃れて、家に閉じこもってみると、父母弟の三人が社会を象徴する全てとなります。その中でも父親が管理の権化と見られることになり、自分を部屋の中に閉じ込め、惨めにしているのは父親だ…と思えてくるのです。

「勉強をして、スポーツもしてと急き立ててきた」のもこの父親で
「学校に行かずに部屋に閉じ籠っているのを批判している」のも父親で
といった具合に、父親にばかり怒りが集中していきます。つまり、これは非難であると同時に、「お父さんどうにかしてくれ、このオレを」という救助を求める叫びでもあるのです。

i.帯電現象~放電……
 こういう状況で、家族の中には特別の空気が流れています。まるで空気が帯電現象を起こしたようで、一触即発という危険をお互いに感じあっているのです。この中に外の空気を一寸だけ入れてみると、それだけで緊張が解けて会話が始まることがあるのです。
 帯電していた電気が放電されたかのように、それまでの対応とは逆転するのです。この家族の場合、入院させなくて治療が進行して行くのですが、「他人が入ってきた」という事実が「家族の構造の大変化」だったのでしょう。
 家族から聞く報告は何時でも「家族の中からの観察」です。往診してみると、診察室の中では話されなかった様々な事実が見えて来る、そして予備知識の大半が修正されて行きます。

第2節 入院への誘導
 私達が往診を依頼される子供達のうちで入院させることになる率は2割くらいのものでしょうか。
 数回の往診を繰り返した上で入院させるという方法はかなり使っていますが、色々のケースを具体的に述べてみましょう。

a.口をきいてくれない子供
 初回の面接で「口をきいてくれない」「ドアも開けてくれない」というタイプの子供達がいます。こういう子供が3割はいるでしょうか。
うまい具合にドアを開けて入り込めたとしても、ベッドに潜り込んでいて、タオルケットの中から顔を見せてくれないのです。 あるいはテレビを見ていて、こちらを向いてくれないのです。ボリュームをわざと大きくして、「御前の言うことなんか聞かないぞ」という姿勢をとり続けたりして。
 このタイプの子供の場合、家族への危険がないと判断できれば、あまり刺激的対応はしないで、少し声を掛けただけで第一回の面接を終える方がいいでしょう。しかし、場合によっては、次のような工夫をすると有効なこともあります。例えば、
子供によっては顔に掛けたタオルケットを何回か
剥いでみたり、テレビのスイッチを切ってみたりしてみます。何回やっても子供はしつこく抵抗します。消しては点けるという具合に。それでもこちらは懲りずに、一方的に話し掛けながらまた消してみます。すると、子供の方も懲りずにまた点ける…。
 実は、こういう対応をしてくれる子供はしめたものです。声になる言葉こそ交わしてくれていませんが、十分に私達との間に心の交流、「心の話」ができているのです。
 そういった種類の接触もできない子の場合でも、親と治療者が話している姿を見せる だけで大きな意味があります。

b.ドアの前で大きな声で話す
 ドアをなかなか開けてくれない子の場合には「ドアの前でなるべく大きな声で話す」というのが有効です。
 親がそばにいないとすれば、医師と心理療法士とが話すのもいいでしょう。親は(治療者を家までよんだということで)「どんなに我が子が怒っているか」と怯えて、お茶などを準備するふりをして、なかなか子供の前に出てこれない場合があったり、そんな機会は多いのです。そういう場合には、例えば次のような対話をします。

「なかなかこの子は難しそうですね」
「そうね。しかし、この儘でいいと思っているはずはないから、しつこくやって来れば、多分いつかドアを開けてくれるでしょう」
「そうですね。しつこく来ることにしましょう。こんな子は見込みがあります」
などという具合に。私達の人となりを子供に伝えるのがこの訪問の大きな目的の一つですから、なるべく大きな声でやっておくのです。
親やその他の家族とそういった会話をできれば、それは一番効果的なことです。


「何に一番困っているか」「どうして欲しいか」などという質問を投げ掛け、なるべく具体的に答えてもらい 「そうであれば、こういう方法で進めましょう」
というようなことを、ドアの向こうの彼に聞こえるように、なるべく大声でしゃべるのです。多分、家族は顔を曇らせ、小声になるでしょうが……。
こういう方法をとると、大抵の子供が足音をしのばせてやってきて、ドアや壁に耳をくっつけて、こちらの話を聞いているものです。
「どんな奴が来ているんだろう」
「もしかしたらこの蟻地獄から本当に自分を救い出してくれる奴かもしれない」
などと期待と不安で緊張している彼の息づかいはドアやふすま越しに感じとれるものです。

c.一週間後にまた来るよ!
 帰るに当たって、私達はこの家族を勇気づけるために次のように言います。まず親に向かって、
「初めての往診は大抵こんなものです。簡単にドアを開けるような子は意固地無しですよ。」 などと大きい声で。ついでドアの隙間から子供にむけて、
「できればお母さんと一緒に病院へおいでよ。もし来れないようなら1週間後にまた来るよ。」  と、声掛けしておくのです。
 この言葉には子供達には「何を言うかこの野郎」と思う一方で、一縷の期待がかけられるようです。言葉としては口が裂けても言わないでしょうが……。この子供達のうち、約半数近くは家族と共にやって来てくれます。ということは、残りの半数は2度目の訪問を必要とするということです。
 しかし、そのことに入る前に1度目の訪問の対応のもう一つのパターンを述べておきましょう。

d.逃げ出す子供
 うまく対面できず、ドア越しに話すこともできないケースがあります。「本人が逃げてしまう」とか、「学校に行くと言いながら、本屋とかゲームセンターとか、公園、特定の親友のうちなどへ入り浸りになる」といった子供達の場合です。
 こういう場合、可能なかぎり家にいる確率の高い時間帯(早朝、深夜など)を選んで行くのですが、必ずしもうまくは行きません。勝手口から逃げられたり、浴室とかトイレの窓から逃げられたり……。

 こういう逃げは「幼いタイプの子供達」によくあります。ゲームセンターや友達の家などで過ごすというのも意思の弱いタイプで多いことです。しかし、そういう場合でも訪問することの意味はあるのです。
彼が居ないながらも「治療者が自分の為にやってきた」という事実に意味がある のです。「自分は治療者と顔を合わせることもできずに逃げた」という事実は、彼の中に大きな変化を作らざるをえないのです。この場合、家族から「病院に来ないなら、来週また来るということだったよ」と伝えることが必要です。「2度と呼ぶなよ」とすごむでしょうが、それができなければ往診したことの意味は半減します。

第3節 2度目の往診
a.「絶対に来るなと言え」という子供へ
 この言葉に負けて、もう先生を呼ぶのは止めておこう、となる家族が頻々あります。
 これは私達の「家族教育不足」ということが原因の一つなのでしょうが、<家族のそういう弱さこそが治療されるべきこと>なのでしょう。私達は前もって、

「多分、僕達を呼ばれたことで、すごく抵抗するかもしれません。しかし、これは越えなければならない抵抗なのですからね。そのことで負けないようにして下さいよ。」
と言っておきます。すると、大抵「よく判りました。先生のおっしゃる通りにします」と答えられます。しかし、この時点では大抵の家族がそのことの本当の意味を心から判ってくれてはいないようです。そこで、もっと具体的に、本人が「家出する」とか、「死ぬ」とか、「親を殺す」とか言い始めるかもしれませんよ。その時には、
『死ぬのは御前の勝手だ』『息子に殺されても本望だ』と言うくらいの決意を  持っていて下さいよ、と確認しておくのです。しかし、家族はそんな言葉くらいで簡単には変わりません。子供の逃げていく様子を見ただけで心は揺らいでしまうのです。子供から「もう絶対にあんな連中は来るなと言え」と凄まれると「いや私達はこのままではどうしようもないから来週も先生に必ず来てもらう」  とは言えなくなってしまうようなのです。

b.約束を提案して、取り引き
 治療者は辛抱強く、家族が強くなるのを待たなければなりません。そこで、次のように指導するのもよいでしょう。
「それではあと一週間待ってみることにしましょう。しかし、そのまま親が引き下がるのでは往診したことが無意味になります。そこで提案ですが、何か一つ子供さんと約束してみることはできませんか?」と。例えば、<昼間に寝てて、夜起きている>のであれば

「せめて朝の10時には起きる努力をしてみてよ」「それができなければ、やはり先生を頼るしかないぞ」と、そう言ってみることできますか?
と。しかし、実際にはこの提案もそう簡単には実行に移せないようです。

c.それもできない家族は
 病院のパンフレットなどを本人の目の届くところに置いておくのもいいでしょう。私は拙著を利用していただくことにしています。
「今日来て下さった先生の書かれた本よ。読んでみたら」と言ってもらうのです。
 そんなことをしたら、かえって意地になって読まないような子であれば、言葉など掛けないで、目の届き易いところに置いておくのです。
 すると、大抵の子供が親の目を盗んで、こっそりと読んでくれるものです。

d.少し強い言葉で入院への準備
 さて、一度目の往診だけで病院に来てくれる子供が約半数いるですが、残りの半数はやはり閉じこもりを続けます。そこで、約束どうりに1週間目に2度目の往診となります。
 ここで、ドアを開けて話してくれる子は、またこの半分と言ってよいでしょう。
 ドアを開けてくれても、全然耳を貸そうとしない子供がまた、その中の半分というとこでしょうか。またしてもテレビやラジオを点けっぱなしにして、「何回来てもオレはオマエなんぞに従いてはいかないぞ」という姿勢をとり続けます。
しかし、この時点で私達はこの子供に対して少し強く臨むことができます。

「こんな生活を続けていて、君自身よいと思ってはいないだろう」
「この家は君だけのうちではないぞ。弟もいる、妹もいる。家族全体が君一人のために暗くなっているじゃないか。いい加減にしろよ」 などといった具合に。
 家具、壁、ドア等の器物破損や、<弟妹達の靴にシャンプーを入れる、ノートを切り刻む>、あるいは直接的な暴力等々、親は黙って見過ごせなくなってしまっている状況で、それらを目の前にして言うのです。

e.急がば回れ
 そんな形で強く指摘されると、彼はテレビのスイッチをもう一度点け直す力をなくしてしまいます。しかしまだまだ、寝そべって向こうを向いたままの姿勢は続けているかもしれませんが。
この2度目の往診までは性急に答えを迫ることは避けて、考える時間を与える方がよいようです。

f.しょうのない親父やおふくろ
 急がば回れということですが、その方が入院させた後の治療がうまく行くのです。私はこの場面では、一方的に「彼の今の心についての私の想像」を話したり「家の中に閉じ籠っているよりか、病院に出掛けて行って生活をやり直そうよ」「何時までもしょうのない親父やおふくろにかかずらっているよりか、暫くこの家を離れてみようよ」
などという勝手な話を畳み掛けていきます。
子供の状況によっては、次のようなことを一人ごとのように一方的に言うこともあります。

「今、君が学校に行かないということは大したことではないと思うよ。 義務教育なんていうけど、行かないといけないという義務じゃないんだよ。国家が国民の要求に応えて教育する義務がある、というのが義務教育の意味なんだ」 「それを古い教育を受けてきた親は『子供を学校に行くようにする』義務があるという考えから抜けられないでいるんだ。つまり、子供が学校に行かないとなると、恥ずかしいなんて考えてしまう」
「僕はそうは考えないよ。学校なんて行きたくなければ行かなくていい。 しかしね、学校には行かなくても人とは交わっていかないといけない。人と 交われないようでは生きて行けないんだよ」
……などと反応を確かめながら続けるのです。  そんな言葉がどこまで理解されているか、私はあまり考えもせずに、自分の思うところを喋っていくのです。
 ここでは、言語での理解はあまり期待していなくて、
「俺はここにこうして、君を救い出しに来ているんだ。
今のままでは動こうとすれば動こうとするだけ、ずり落ちていく蟻地獄だろう?」
と、ただただ情熱をぶっつけているのです。

「しょうのない先生達はやれ勉強だ、やれ体操だと言ってやたらと順位をつけて、君達をけしかけているわけだ。ボランティアだって競争なんだから呆れるよ。
更に音楽なんて楽しむものなのに、あれにまで順位や点数をつけるんだから馬鹿げて
いる。先生なんて馬鹿が多いの! そんな学校なんか糞食らえだ。」
と息巻いて見せるのです。私自身、高校生時代本当にそう感じていたのでした。

g.来週も同じような生活を続けているなら
 そして最後に、場合によっては、「また週来るよ。来週も同じような生活を続けているのなら、強制的な入院を考えるかもしれないぞ」と言っておくのです。
 場合によってはというのが、「そう言っても大丈夫と判断できる場合には」ということです。
 無理と判断されれば、3度目の往診が必要となります。

h.ペンチとハンマーと鋸切り
 2度目の往診でも、ドアを開けない子には次のように言います。

「僕はね、君みたいな子供を何人もみてきた。どうしても君をこのまま放置しておくわけにいかないんだ。
若い時は次々になくなってしまうぞ。俺は君をそんな状態のままほって置けないんだ。
来週もこのようなら、ペンチとハンマーと鋸切りを持ってくるぞ!」
と力一杯声を掛けておくことにします。たまに、「俺の勝手じゃないか。よけいなことをするな」と叫ぶ子もいます。しかし、多くの子供がこの時にも黙ったままです。ですから、
「なんだ、この意気地無しめ」という怒りを渾身に込めて、
ドアの隙間からぶち込んでおく方が有効な場合が多いのです。
「随分と荒っぽい」と思われるでしょうか?  しかし、これは2度目の対面だから言えることです。「やはりあいつは来てくれたのか。
本気で俺のことを考えてくれる奴なのかもしれない」……と感じ始めているという感触
が得られて初めてできることです。「私達がまた来るかもしれない」と判っているのに逃げ出さなかったと いうことは、「私達を待っていたのだ」と解釈して、殆んど間違いないようです。

第4節 強制入院のための往診
 このような2~3回の往診を繰り返した上で入院させることになります。強制的な入院になるケースは<入院させる目的で往診する子供達>の中の1割~2割というとこでしょうか。
 この強行手段をとる直前の往診の時に、
「同じような状態が1週間も続くようであれば強制的にでも入院させる。」
「男の職員を2~3人連れてきて、注射をうってでも、ヒモをつけてでも連れていく」
と宣言しておくのです。数人の男性職員を引き連れてやってくるわけですから、大抵の子が観念して従いてきます。しかし中には最後まで抵抗する子がいます。
注射のアンプルを切るとそれだけで、「注射を射たれるくらいなら自分から行きますよ」と折れてくれる子もいます。

 しかし注射を射たれても、最後の力を振り絞って抵抗する子供もいるのです。こういう子のほうが治ることも早いものですが、足で顎を蹴られたり、爪で引っ掻かれたり、噛み付かれたりさんざんな体験を私自身がしています。

a.かすり傷と化膿傷
 強制的な入院は一種の手術のようなものと言ってよいのかもしれません。それはいくらかの傷を残すでしょう。しかし、往診を繰り返して、子供達に心の準備をさせた後であれば、ほとんど傷とはならないと私達は考えています。
 少なくとも長い間、部屋に閉じ籠っていたためにできる心の傷に比べたら、うんとうんと小さくて浅いと言えるでしょう。
 前者が「時間が経てば跡形もなく消えるかすり傷」とすれば、後者は「悪質な細菌感染を伴った化膿症」でできた痕跡のように、何時まで経っても消えない汚い傷と例えて良いでしょう。
 子供達のショックは配慮する必要がないというわけでは決してありません。しかし子供達はどうしていいか分からずに、今までの抵抗の姿勢をやめられなくて、苦しみ続けているのです。

b.強制的に動かしてもらうのを待っている
 彼等はむしろ「強制的に動かしてもらうのを待っている」と考えてよいでしょう。
 はっきりとそう意識されているわけではないのですが、私はこのことは、良くなった後の子供達の言葉「あのとき先生達に来てもらっていなかったとすれば自分はどうなっていたか判らない」  の中に何回も何回も確認してきました。

第5節 閉鎖病室の使用と思春期専門病棟
 こうして連れてきた子供達のほぼ8割は開放処遇となります。若草病院の中の開放病棟への入院か、遊学舎大空寮への入寮となるのです。
 しかし、2割ほどは、暫く若草病院の閉鎖病室を使うことになります。
 強制的に連れて来た子供達は当然のこと離院する危険があるのです。「逃げて帰ってしまったらまた迎えにいけばいい」という姿勢で臨んでいますが、子供達の一部には精神的に高ぶっている時期があるのです。家族へ強い恨みを募らせていたり、治療者に不信感を抱いていたりすると、短絡的な行動(暴力・自殺)に出る危険があるのです。そこで、冷静になり、治療者達との間に良い関係ができるまで閉鎖病室の使用が必要となるのです。

 患者さんによりますが、心理療法士が面接を繰り返す、看護者が付き添って野外活動に出るなどの対応をしていると、3日もあれば開放処遇ができるようになります。
 子供によっては1週間くらい必要なこともありますが、それ以上ながびくケースは重度の性格障害、統合失調症、躁鬱病等々を合併していると考えてよいでしょう。
 開放病室に出て、落ち着いた子供は遊学舎大空寮に転出します。ここから県庁クス並木通の如月並木館に有る遊学舎に通うのです。
看護師との関係によっては転出を選ばず、若草病院で治療を続ける場合もあります。

http://kyoken.org/



[37] 精神科医 水野昭夫のホームページ 第1部 往診家族療法

投稿者: 太郎 投稿日:2017年12月28日(木)07時04分37秒 p3dd326f3.mie-nt01.ap.so-net.ne.jp  通報   返信・引用

第10章 往診および積極的な入院(入寮)治療
……「子供を子供としてみてやることこそ大切」……


第1節 在宅での家族療法の進展が困難な場合
 親、学校などの柔軟性が乏しく「在宅での家族療法の進展が困難」と判断されれば、入院(あるいは入寮)による家族療法を、積極的に進める必要があります。
 具体的には
1.自宅への閉籠りが長期に亘っていて、両親、弟妹への暴力があり、家族が崩壊しそうな場合。

この場合も「弟妹への暴力」を防ぐのが目的ではなく、本人の性格障害が進行するのを防止する必要があるからです。

2.シンナー中毒、暴力団との接触などがあり、近隣の人達との交遊関係を絶つ必要がある場合。
3.自殺、傷害、殺人などの危険が高いと判断される場合。
 自分で治療場にやってきて何回か通った後で、自分から入院(入寮)したいと言い出す子供も時たまにいます。
  しかし、大抵の子供が入院(入寮)には抵抗します。そこで強引に力ずくで入院させることになります。親が様々な手を使って誘っても、動こうとしない子供が殆どなのです。
大抵、「オレはどこも悪くない。おかしいのはアンタ達の方だ」と言います。甘えん坊のくせにプライドは高いので、決して屈しないのです。
親に向かって 「てめえ」とか、「おばさん」「おっさん」とか話しかけるように、
治療者に向かっても「アンタ達」という言葉
がよく出てくるのです。
 そこで、次項で述べるように、何回かの往診を繰り返して説得が不能の場合には、最終的に強制的入院をさせます。

第2節 子供の人権の侵害と言う人へ
 この場面だけをとらえて、「子供の人権の侵害である」という人がいます。
 しかし、私達は、「放置するのはもっと危険な人権侵害である」と考えています。強引に入院させるのは、確かに「相手の意思を無視する」「相手にこちらの意思を押しつける」ということです。それはまさに「人権侵害」であるかのように見えます。
 しかし、私は「相手は子供なのだ」ということを忘れてはいけない」と思います。
大人には子供を保護し、教育していく義務があるのです。
 毒蛇と遊んでいる子供がいたとします。それを発見したら有無を言わせず、子供をひっ抱えて連れ去るでしょう。子供を説得している暇などないのです。<毒蛇が危険ということを子供は知らない>のですから。
毒蛇に噛まれても生き延びる強い子だけが残れば良いという野蛮は文明国では許されないのです。

説得したり議論したりする前に抱え上げてしまうのが
「そのことを知っている大人」の為すべき行為 でしょう。
何かを為すことを批判するのはたやすいことです。しかし、

「何もしないことからくる罪責」のことに目を向け
ないでおれるのは何故なのか ? 不思議です。
 多分、「積極的な治療ができないことの言い訳」に人権侵害という言葉を並べて、油を売っているというのが正解かな?

これは、
1)我が身の安全を「我が使命」より優先させる公務員(役人、先生、警察官)
2)実際の治療には関わらずに、ベストセラー作りに励んでいる評論家学者
などに極めて顕著に目立ちます。

 子供を子供として見てやることこそ大人の使命の筈ですが、それより我が身の安全や、浅薄なマスコミの売れっ子になる方を優先しているのでしょう。

http://kyoken.org/


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